○天眼のジェラシー(義×豊ルート+L5な殿)
※西軍大将の片恋が必要です。
「豊久……」
一日の始まりに、その声を聞く。
「こたびの戦で、ワシらがすべきこと、わかっておるな?」
その声に従って生き、その声のために死す。
「はい、それは――」
何度も、何度も。
同じ一日を、同じ戦を、同じ最期を繰り返す。
何度目であるのか、数えることなどとうに止めた。
何度目であろうと、命を捨てる覚悟に変わりはない。
それを定めと言われたところで、恐れなど微塵も感じない。
むしろ、満ち足りた心地さえ覚えている。
だが。
――それでは、伯父は救えませんのです。
頭に角を戴いた、人とも妖ともつかぬ娘は言った。
死して目覚め、また迎える、何度目かの九月十五日。
ふとしたことから、それが繰り返しであることに気づきながらも
死すべき運命を受け入れていた豊久の眼前に、娘は現れた。
――いくら豊久が命を捨てて、ここから伯父を逃がしても。
――明日が来ない限り、伯父は薩摩の地を踏めない。
唐突に姿を現した、得体の知れぬ娘の言葉である。
島津の者でも、否、顔見知りですらない相手だ。
人であるかさえも、外見からすれば怪しいものである。
しかし娘の言葉は、豊久の胸に鉛の如く圧し掛かった。
何度となく同じ一日を繰り返していながら、
その実、豊久はその終焉を目にしたことがない。
一日の終わりを待たず死ぬのだから、当然である。
しかし、心のどこかで彼は、根拠なく信じていた。
己の与り知らぬところで伯父は生き延び、国に帰るのだと。
その希望があったからこそ、幾百の死も受け入れられた。
伯父が生きて本国の地を踏み、笑って過ごす未来。
自らは見ることの叶わぬそれにこそ、豊久は命を捧げた。
だが、娘の言葉は、彼の眼前に真実を突きつけた。
同じ一日を繰り返す限り、彼の信じる未来は訪れぬのだと。
それもまた、当然のことであった。
一昼夜で帰り着くには、薩摩は遠すぎる。
本国から手勢を連れ、この戦場に馳せ参じるまでに
他ならぬ豊久自身も、少なからぬ日数を要したのだ。
にもかかわらず、今まで彼はその事実を失念していた。
あるいは、気づかぬように努めていたのかもしれない。
自らの最期を、真に悔いなきものとして遺すために。
しかし娘は、それでは意味がないと言う。
そして暗に、豊久の覚悟に対し、疑問を呈している。
結果をもたらさぬ犠牲は、自己満足にすぎぬのだと。
ならば、どうせよというのか。
憮然として問い返した豊久に、娘は言った。
――勝つのです。
――天下分け目の、この戦に。
――左近も吉継も豊久も、誰も欠けさせずに。
そう言って、豊久の瞳を真っ直ぐに見据える。
吸い込まれそうなほど深い、しかし真摯な瞳だった。
この一日で随分と見慣れた、誰かの瞳を思い出す。
――そのためには、島津の力も必要不可欠。
――さあ、豊久。
――伯父を説得して、戦ってもらうのです。
その上、言い分まであの男に酷く似ている。
胸の奥に苛立ちを覚え、豊久は我知らず鼻を鳴らした。
死とは即ち、戦の習いだ。
一兵も失わずに得る勝利など、ありはしない。
まして、この軍を指揮するのはあの男だ。
失うことの覚悟も、果断の度量すらも持ち合わせず、
夢のような絵空事だけを翳して采配を振るう男。
ある時は徒に報告を求め、ある時は思いとどまれと叫び、
命を散らさんとする覚悟の前に、必ず立ちはだかる男。
撤退する時であろうと、勝利に向けて進む時であろうと同じ。
最期の記憶は、決まって彼の悲痛な表情と隣り合わせだ。
脳裡に焼きついて離れぬその顔に、今度は。
――違うのです。
――策略でも、陰謀でもないのです。
――僕はただ、皆で明日を迎えてほしいだけなのです。
所在なげに俯いた、娘の表情が重なる。
得体の知れぬ娘であった。
どのような思惑を抱いているかなど、知りようもない。
信じるに足る、そう思う方が難しい。
だが豊久は、伯父を救いたかった。
たとえ娘が敵の間者で、その言葉が罠であろうとも。
そこに、本当の意味で伯父を救える望みがあるのなら。
幾度命を捨ててでも、一縷の希望に食らいつきたかった。
これまで繰り返した何百もの死が、無意味であるというのなら。
次に捨てる命こそは、伯父に未来を託すために捧げたかった。
もとより、一日を繰り返すうち、数え切れぬほど死んだ身だ。
そして、明日が訪れぬ限り、これからもそうするであろう身だ。
今さら、恐れるものなどありはしない。
「すべて、おぬしにまかせる」
既に何度となく聞いた声に、豊久は顔を上げた。
寡黙な主君の意に沿うべく、黙して聞いてきた言葉に。
「はい、伯父上」
今、初めて、言葉でもって答えを返す。
「必ずや、あなたをお守りします」
応えを、期待したわけではない。
決意は既に、己の胸にある。
それで、十分だった。
主君にして肉親。師にして戦友。
その彼に今度こそ、薩摩の地を踏む未来を。
――この命に、代えても。
強い覚悟を込めて地を踏み、腰を上げる。
と。
「それだけでは、足りぬ」
眠るように目を伏せたまま、伯父は唐突にそう言った。
よもや返るとは思わなかった答えに戸惑っていると、
伯父もまた腰を上げ、真っ直ぐに手を伸ばしてくる。
「おぬしも生きよ、豊久」
肩に置かれた、厚い掌。
温かかった。
しかし、真に豊久を動揺せしめたのは、
沁み渡るような、その温もりではなかった。
伯父は今、何と言った。
豊久『も』生き延びるべきだ、そう言わなかったか。
――まさか。
繰り返される一日、終わることのない戦。
それは、豊久のみが知る事実だと思ってきた。
繰り返される犠牲、尽きることのない死。
誰も止められない。疑問にすら思わない。
だからこそ、その定めを打ち破れる者は、
ただ一人事実を知る、己をおいてないのだと。
豊久は秘かに、そう思い続けていたのだ。
しかし、伯父もまた、気づいていたというのか。
同じ一日が、幾百幾千と繰り返されていることに。
豊久がその中で、何度も命を散らしてきたことに。
その疑問に対する答えを、証立てるように。
肩に置かれていた手が、そっと背に廻される。
そうして、豊久の前に膝をつき、伯父は言った。
ただ一言。
「すまなんだな」
その深い声に、万感の想いを滲ませて。
「……伯父上」
目の奥から滲む熱が、溢れる涙が抑えきれない。
抱き返そうと願う手が、震えて思うように動かない。
誉められるために、命を捨ててきたわけではない。
だが豊久にとって、これほど心に響く言葉はなかった。
繰り返す死を悼み労う、たった一言。
その言葉を聞けただけでも、己は何という果報者か。
何らの未来も繋ぐことなく、迎え続けた死すらも
無駄ではなかったのだと、今やっと信じられる。
彼の甥として生まれ、彼を主と仰いで生きる。
自らの運命に、豊久は心の底から感謝した。
そして、願った。
「伯父上、私は」
今度こそ、この主君と共に、薩摩の地を踏みたい。
定めの許す限り、彼のもとで生きてゆきたい。
「ずっと、あなたと――」
切なる願いは、涙となってとめどなく流れ落ちる。
まるで傷を労わるかのように、武骨な指が背を撫ぜた。
肩越しに見れば、伯父もまた、伏せた瞼を潤ませている。
主従にして肉親。師弟にして戦友。
互いの想いは、口に出すまでもなく理解しあえる。
戦おう。
島津だけではなく、この戦場にいる誰をも欠けさせぬため。
そのために力を尽くすことが、皆で国に帰る未来へと繋がる。
涙を拭う暇も惜しみ、固く抱き合ったまま、二人は誓った。
――陣幕の向こうで、草を踏む足音にも気づくことなく。
己の頬を伝う涙の理由が、三成には理解できなかった。
悲しむべきことなど、どこにもないはずだった。
救いたかった人物が、今までとは違う一歩を踏み出したのだ。
これで、彼の未来は大きく変わるだろう。
あるいは死すべき運命も、避けられるのかもしれない。
にもかかわらず、涙は瞳から零れて止まらなかった。
何度も何度も同じ日を繰り返し、同じ死を繰り返し、
幾千の試行錯誤の果てに手に入れた、これまでと違う未来。
渇望したその可能性を、何故受け入れられないのだろう。
それは、あの場所に自分がいないからだ。
彼の隣に立ち、抱き締め合い、明日を誓うあの場所に。
今日を何度繰り返し、彼を死から何度救おうとも、
彼に最も近しい、あの場所に自分はいられない。
少し考えればわかるような、ごく単純な事実。
それに、今、三成は初めて気づいたのだった。
死すべき運命から、彼を救いたかった。
会えなくとも、顧みられなくとも構わない。
ただ彼が、この戦いの中で無事に生き延びて、
同じ世のどこかで、幸せに暮らしてくれる未来。
それだけを願って、この日を繰り返してきた。
他には何も、望まないつもりでいたのだ。
だが、それは偽りだった。
彼も友も腹心も、己の心すらも欺く嘘だった。
――ごめんなさい。
本当はずっと、彼の隣にいたかった。
喜びも悲しみも、分かち合える位置に立ちたかった。
そのためにこそ、同じ一日を倦むほど繰り返した。
――ごめんなさい。
だから、願えない。
伯父と手を取り合い、今日の死すべき運命を越えて
やっと明日に向かえるであろう、彼の幸福を願えない。
――ごめんなさい。
皮膚の下で、何かが蠢く。
思わず、衣越しに己の腕へと爪を立てた。
抑えきれぬ想いが、身体の奥底から湧き上がる。
臓腑を遡り、肺腑を這い上がり、肌を喰い破り、
外へ溢れ出そうと、一斉にざわめき始める。
――ごめんなさい。
知ってはいけなかった。気づいてはいけなかった。
己の心が、これほどまでに罪深いものであるなら。
その内になど、目を向けてはいけなかったのだ。
――ごめんなさい。
全て、消さなければ。なかったことにしなければ。
衣を肌蹴て、露になった肌に、力の限り爪を食い込ませる。
掻き毟る指先で、薄皮の下に這う醜い感情を潰す。
――ごめんなさい。
――ごめんなさい。
繰り返し繰り返す、際限のない謝罪。
草の上に膝をつき、諸手を鮮紅に染めた三成にはもう、
それが誰の声か、誰への声か、わからなかった。
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テキストファイル内に残されていたメモによると
「ひぐらしのなく頃に・罪滅し編」の「おはぎ、うまかったぜ」的な何か……らしい。
伯父上を救ったつもりでいた豊久と、嫉妬にかられる殿がテーマだったようです。
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