「色仕掛けの方法?」
「ええ」
頷く若者の表情は至って真剣で、思わず溜息が漏れた。
「そんなこと、何故私が知っていると思うんだい」
「謀神と名高き元就公なら、あるいはと思いまして」
「君ねえ……」
そんな策を使えるものなら、今ここで使っている――
危うく口をついて出そうになった言葉を、ぐっと飲み込んだ。
結論から言えば、男が男を篭絡する策は確かに存在する。
歴史上に前例もあり、今なお用いられることもある策だ。
だが、意に沿わぬ結果を生むこともある、いわば諸刃の剣でもある。
それを使いこなせるのはごく少数、然るべき容貌や才の持ち主だけだ。
目の前にいる男が、そういった部類の人間ではないことくらい
才気に溢れたその頭脳なら、容易くわかりそうなものなのに。
その判断すらもつかないほど、彼の目は眩んでしまっているのだ。
おそらくは彼が恋焦がれ、篭絡したいと願う何者かのために。
それが誰なのか、自分は知らない。彼も、教えてくれない。
「確かに私は、彼ほど力強くはなれないが……」
だが、あたかも知っているかのように呟いて鎌をかければ
彼が見せる表情のわずかな変化から、ある程度の想像はつく。
彼の求めるものが知性や経験、あるいは平穏であったなら
応えられる自信があった。誰より巧みに、彼の心を擽る形で。
だが、彼が求めているのはどうやら自分ではないらしい。
つまり相手は、自分にないものを持っている人物だ。
たとえば武勇、あるいは威厳。力強さ、それに類するもの。
今からそうしたものを勝ち取るには、自分は年を取りすぎていた。
そのくせ、誰なのか確証すら持てぬ相手を恋い慕っている彼に対し
何のわだかまりもなく接することができるほど、枯れてはいないらしい。
「……やはり、駄目ですか」
端正な顔立ちは、その分だけ消沈を色濃く浮かばせる。
憂いに満ちた表情に、湧き上がるのはしかし庇護欲ではない。
浮かぶのはただ、理不尽とも思える疑問ばかり。
何故、自分ではないのだろう――と。
「宗茂」
子供のように丸くなった背中を、掌でそっと撫でる。
「君は、君のままではいけないのかい」
何度も繰り返し撫でながら、説いて聞かせるように囁く。
「……不安、なんです」
俯いた顔、打ち沈んだ声の、何と弱々しく寂しげなことか。
「こんな想いは、初めてで」
あの涼やかな微笑は、自信に満ちた振舞いはどこに消えた。
彼の彼たる所以、最も輝いていた姿を、奪い去ったのは誰だ。
「君らしくないよ」
頭では、わかっている。
「演技や誇張を好かれたところで、いつかは綻びる」
自分が何を言ったところで、彼にとっては何の意味もない。
どれほどの献身も、甘い言葉も、天にも昇るような愉悦さえも。
心に描くただ一人から受け取るものでなければ、塵芥も同じ。
恋とは、そういうものだ。
だが、わかっていてなお、言わずにはいられない。
「それよりは、ありのまま接する方が、ずっといいと思わないかい」
ただ一人を想うだけで胸を蝕む痛みなら、嫌というほどわかるから。
「後悔も、少なくてすむし――」
「――後悔するようなことになると、お思いなんですね」
咎めるような上目遣いの視線に、どきりとした。
軽く頭を掻き、苦笑いを作ってその場を取り繕う。
「……私が彼の立場なら、そんな顔の君を抱こうとは思わないよ」
嘘だ。
本当はすぐにでも、その寂しげな背を抱き締めたい。
蕩けるほどに愛して、思い切り泣かせたい。
哀しい恋など忘れて、二度と思い出せなくなるほど。
ああ、本当に、何故自分を選んでくれなかったのだろう。
誰より大切にする。死ぬまでずっと、可愛がってみせる。
そんな切ない顔など、絶対にさせないのに。
「ほら、顔を上げて」
諭す言葉は、彼の恋が実ることを願ってのものではない。
「笑って。いつもの、君みたいに」
逸って行動を起こしても、彼の心には届かないだろう。
進むにせよ退くにせよ、機は熟していない――今は、まだ。
ぎこちなく口角を上げた彼に、肯定の頷きを示せば
作り笑顔は、やがて本当の柔らかなそれへと変わった。
ただ一人のことを想うだけで、自ずと浮かぶ甘い微笑。
自分は笑えない。無理に上げた口元は、強張るだけだ。
しかしそれすらも、恋に眩んだ彼の瞳には映っていない。
「大丈夫」
ゆるゆると腰を上げる彼に手を貸し、外へと導く。
「君なら、きっと上手くいくよ」
一度だけ頷き、歩き出した彼はもう振り向かない。
小さくなる後姿が、次第に活き活きとした輝きを取り戻す。
彼を待つことしかできない自分には、決して持てない輝きを。
視界が霞む。
去りゆく彼の姿を、それ以上見ていられなかった。
目の奥を刺すような痛みに、その場で膝をつく。
熱を持ってとめどなく滲む、この瞳もまた眩んでいる。
彼のそれと、同じように。
――私のものに、なればいいのに。
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元は、ヨシキリモトカ嬢に捧げた話の前段階でした。
ブログに載せるにあたって少し修正。
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