「何故だ、紹運」
「何故、ですか?」
見上げれば、朋友の瞳は爛々と輝いていた。
「それは、私の台詞です」
辺りを包む宵闇よりも、なお深い漆黒の瞳に。
まるで星のような輝きが、か細くきらきらと揺れている。
その微かな輝きが、整った顔ごとぐいと迫った。
「何故、あの子なんですか」
「紹運」
彼が指しているのは、おそらく嫡子のことだろう。
無理を承知で娘婿にと乞い、養子として譲り受けた。
だが、何故、今になって。
「その話なら、もう――」
多少の紆余曲折はあったが、既に済んだはずだと。
彼の顔を押し退けようとすると、顔の上にぱらぱらと何かが降った。
痛くはない。生温かく頬の輪郭を伝うそれは、水気のようだ。
その正体は、見上げた拍子に知ることができた。
「何故、私ではないんですか」
こちらに覆い被さった姿勢のまま、朋友は泣いていた。
烏珠の瞳に瞬く光が、雫となってこちらの頬に落ちている。
「私は、ずっと」
力強くも整った造作の指先が、両の肩に強く食い込んだ。
「誰よりも、あなたのことを――」
そうしてこちらの動きを封じたきり、彼は言葉を失った。
整った顔立ちを堪え難いように歪め、泣き崩れる。
手を離し、呆けることしかできなかった。
少女のように涙する、こんな彼の姿など自分は知らない。
朋友の嫡男を養子に求めたのは、決して私情ゆえではない。
自らの家を磐石とすることで、主家を護りたいと思えばこそ
己の知る限り、最も信頼に足る男の子息を望んだ。
そして彼の方も当然、その心をわかっていると思っていた。
親子ほども年の離れた彼を、同志と信じて疑わなかった。
主家を支えるため、心を一つにしていると思い込んでいた。
その確信が、その浅慮が、知らずに彼の心を傷つけたのだ。
最も残酷なやり方で、取り返しのつかないまでに深く。
彼の名を呼ぶ声は、掠れて音の形を成さなかった。
自分は、何ということをしてしまったのだろう。
傷つけたかったわけではない。
だが、今さら気づいても、もう遅い。
「いいんです、もう」
彼はゆるゆると首を振ると、おもむろに身を離した。
息をついた次の瞬間、動かぬ下肢が易々と引きずられる。
腕の力だけで這おうとしても、どだい無理な話だ。――動けない。
「何の真似だ」
問えば彼は、抱え込んだ片脚にそっと自らの頬を寄せた。
固く地を踏みしめることなど、もはや叶わなくなった足だ。
美しくも、強くもない。まして、艶かしいものなどでは。
しかし彼は、その足を大切そうに両の掌で包み込む。
それどころか傅くように顔を伏せ、口付けすらしてみせた。
「あなたは、私を養子としてはくださらない」
嘲笑めいた表情は彼と自分、どちらに向けられたものだろう。
「私の子にも、なってはくださらない」
ただ、詠うような声音は思い知らせる。
嫡子を貰い受けようと頼んだ際、彼は言を左右にしてそれを拒んだ。
――では間を取って、私を養子にしてみてはいかがですか。
あの時は、家の要を渡したくないがための方便だと思っていた。
――そんじゃもう、道雪様がうちの子になればいいじゃないですか。
だが、違った。
あれは彼の偽りなき本心、精一杯の告白であったのだ。
しかし自分は、何も気づかずにその心を踏みにじってしまった。
「だったら……こうするしか、ないでしょう?」
親を求める迷い子にも似た、縋るような声は思い出させる。
嫡子を渡すことを拒んだ彼が、最後に口にした言葉。
――そんなに息子が欲しければ。
――今すぐ、作ればいいじゃないですか。
あの時は、単なる冗談であったのかもしれない。
だが今や、それを現にせねば治まらぬほど、彼は思い詰めていた。
そうしたのは他でもない、自分自身だ。
かけがえのない朋友に、取り返しのつかない仕打ちを。
欲しかったのは、友誼より深く確かな絆だと。
目鼻立ちのはっきりとした顔は、刻む悲嘆もまた深い。
そして、そんな有様の彼に、かける言葉を自分は知らない。
「よせ、紹運」
口を開いても、出てくるのは陳腐な制止ばかりだ。
認め合ったはずの友に。ある種、崇敬の念すら抱いていた男に。
伝えたい心が、山とあるはずなのに、言葉にできない。
「紹運――」
胸の奥底が、きりきりと痛む。
互いが互いを好いていることには、何ら疑う余地などないのに。
この虚しさは何だ。二人の間を隔てる、この深い淵は。
だが、その空虚も孤独も、彼の心には届かない。
「さあ、道雪様」
伏せていた顔を上げ、秘めやかに彼は囁く。
「作りましょうか――私たちの、息子を」
長く黒い睫毛を艶やかに濡らし、彼は薄く微笑んだ。
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「養子が欲しいぞ立花道雪」はwebと単行本で内容が違いますが
単行本の方が、ややマイルドな台詞回しに思えたので
作中の台詞はそちらから引用させていただいています。
[5回]
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